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迎える心構え4

 今回は「永遠の別れ」をテーマに論じてみましょう。生あるものはいつかは命尽きる、のは自然の摂理です。子犬時に家族の一員となった秋田犬も、人間と同様、やがて年老い、天に召されます。日一日とかけがえのない存在となっていった秋田犬との永遠の別れ、それに伴う悲しみは想像を絶します。

 子犬を迎えたばかりの皆さんは、異口同音に言います。「お別れはずっと先でしょう」と。実は、そうではありません。昨日まであれほどはつらつとしていた愛犬が、急に元気がなくなり、獣医師に連れて行ったところ手の施しようのないほど病気が進んでいたということもあり得ます。事実、秋田犬と暮らした全国の少なからずの皆さんから、当クラブはそうした悲しいお話を聞いてきました。

 若いころは病気と無縁だった愛犬も、高齢になると病魔が潜む可能性が高くなります。病気に苦しめられることなく元気に齢(よわい)を重ねることができたとしても、秋田犬はおおむね10歳から15歳の範囲で天に召されます。中には「18歳」という例もありましたが、これはかなりの長寿と言えるでしょう。

 愛犬への愛情が深ければ深いほど、換言すれば「このままずっと変わらないでほしい」との願いが強ければ強いほど、子犬を迎えてからの10年〜15年後は思った以上に早く訪れます。そして、前段で触れたように若いうちでの「突然の別れ」もあり得、そうした場合は心の準備をする余裕すらありません。

 家族の一員たる秋田犬との永遠の別れは、肉親を失ったのと同様に深い悲しみが襲い、ご家族皆さんの心にぽっかりと大きな穴が空きます。すぐに立ち直れる人は皆無と表現していいほど、心に区切りをつけるには長い月日を要します。

 最近の例をご紹介しましょう。愛知県にお住いのAさんから、1枚のハガキをちょうだいしました。Aさんご家族は、ともに当クラブからお迎えになった2頭の赤オスと暮らしていました。

 このうち"兄さん犬"は、高齢になって心臓と腎臓に病をかかえながらも、亡くなる当日まで元気に"弟犬"とともに散歩を楽しんでいました。しかし、唐突と表現しても過言ではないほど、別れを惜しむ間もなく彼は13年の生涯を閉じました。ハガキには当クラブからお迎えになったころの子犬時の写真を含む5枚を載せながら、ぎっしりと文で埋め尽くされていました。

 Aさんは「最後の最期まで本当に賢い子でした。私たち家族に、言葉では言い表せないほどの幸せを、癒しを与えてくれました」と記すとともに、今は喪失感でいっぱいだが、残された犬(10歳)とともにがんばっていくと、結んでいました。

 その後、お話をする機会があり、Aさんは受話器の向こうで「四十九日を過ぎたのですが、まだ悲しみが癒えません。残された子も餌をあまり食べなくなり、放心状態のように固まってしまい、後を追うように逝ってしまうのではないかと、とても心配しています」とおっしゃっていました。

 さまざまな犬種の中で、秋田犬は人の心にとりわけ深く寄り添い、忠犬ハチ公と上野博士がそうだったように犬と人間の垣根を超えた絆で結ばれます。ゆえに、失ってしまうとその悲しみ、喪失感は計り知れないほど大きなものとなります。

 Aさんは"兄さん犬"の相棒として"弟犬"を迎えました。彼ら2頭もまた、互いに深く心を通わせ、約10年間にわたって離ればなれになることは1度もありませんでした。秋田犬も人間と同様、かけがえのない存在の死を悼み、深い悲しみに落ちていきます。結局、"弟犬"は相棒を亡くした悲しみから立ち直ることができず、"兄さん犬"が旅立った約2カ月後、天に召されました。

 純然たる家族の一員としてのみ秋田犬と暮らす皆さんは、純粋な意味で「愛犬家」と言えます。一方で、それとはまったく異なる"距離感"で秋田犬と接する人たちがいます。展覧会、とりわけ全国大会を意味する「本部展」に半生をかけてきたベテランの皆さんです。彼らもまた、心底秋田犬が好きで秋田犬と人生をともにしてきたわけですが、皆さんと最も異なる点は、彼らの少なからずが「勝負師」であるとうことです。

 そして、みずからの犬舎で産まれた子を含めて同じ犬が生涯にわたって自犬舎にいることは稀で、早ければ子犬のうちに、遅くとも数年後にはいなくなります。犬仲間を含む友人、知人に譲ったり、一般向けに販売したり、など理由はいくつかありますが、「死に水を取る」という例はあまり聞きません。秋田犬発祥地、大館のある犬舎などは「死に水を取りたくない。だから、遅くとも数年以内に手放す」と話していたほどです。

 「それじゃ、まったく愛犬家じゃないよね。秋田犬が好きだったら、死ぬまで一緒に暮らすべきでしょう」と批判する方もいると思います。それも一理あります。きわめて少数でしょうが、展覧会で勝つためのツールにしか考えていないベテランも中にはおり、展覧会で満足のいく成績が出ないとすぐに手放す人さえ見かけます。

 ただ、ベテランの多くは自分の犬舎で誕生させ、心を込めて育てた犬を旅立たせた後も、ずっとその存在を心にとどめています。それはそれで、「彼らなりの愛し方」と言えるかも知れません。

 当クラブが2000年の創設以来国内外に送り出した秋田犬の9割以上は、競い合う場ではなく純粋に家族の一員として暮らしてきました。どれほど優れた素質に恵まれた子でも、"戦いの場"たる展覧会に挑んだ秋田犬はほとんどおらず、ご家族の皆さんとともに穏やかな日々を送っています。競う秋田犬、家族と時を共有するためだけに生きる秋田犬。生き方はそれぞれ異なりますが、いずれも秋田犬の本当の姿です。

 迎える心構え1の中で「秋田犬と暮らすなら『腹をくくる』必要があります」とつづりました。それは、やがて直面する永遠の別れに向けた「心の準備」をしておく必要性をも含んだ意味を持たせています。

 ここまでお読みいただくと、「そんなに大きな悲しみや喪失感に襲われるなら、秋田犬との暮らしは初めからしない方がいいかも知れない」と思われる方もいるかも知れません。迎えるのを最初からあきらめてしまうのではなく、ご家族みんなで「心の準備」をしながら、縁あって家族の一員となった秋田犬との1分1秒を大切にする。それこそが、秋田犬を「迎える心構え」の最も大切な部分と考えますが、いかがでしょうか。

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