過保護と体罰

 犬の飼育者は、三つのパターンに大別できるのではなかろうか。一つは無意識のうちに過保護に育ててしまうタイプ、一つは平気で体罰を加えて育てるタイプ、そして一つは過保護にもせず体罰も加えず、犬の気質を上手に読み取って育てるタイプ。三番目が最も理想的なのは、異論のないところであろう。

 過保護と、体罰を加えるのとではいずれも良くないのは当然だが、どちらがより悪いかといえば、過保護ではなかろうか。過保護は言葉を変えれば「溺愛」である。では、過保護に育てると、どのような傾向が表れるのだろうか。犬種によって気質が異なるため、秋田犬に限定して論じれば、過保護に育てると子犬時にいかにすばらしい素質を持った子でも、愚鈍になっていくようである。

 「愚鈍」とは漠然とした形容だが、過保護に育てられた犬は概して「この家で一番偉いのは自分」と錯覚する。過保護に育てている人の多くは、それを修正するための知識や認識、技術に乏しいため、過保護は成長とともに助長され、散歩時でも飼い主のいうことを聞かず、自分が行きたい方向に行く傾向が強い。 また、過保護ゆえに気性が甘くなり、散歩ですれ違おうとする犬に、威嚇するように吠える場合もある。

 一方、頭や背中などを拳や平手で殴りつけて言うことを聞かせる、つまり体罰によって服従させようとする飼育者も、過保護の飼育者と同様、意外に多い。ほかの多くの犬種もそうであろうが、秋田犬は1回でも殴りつけると、それだけで飼育者を信頼しなくなる傾向がみられる。飼育者を噛むなど"反逆"することはあまりなかろうが、何かすればまた殴られるのではないか、という意識がトラウマとなり、怯えたような眼で飼育者を見上げるようになる。

 過保護と体罰のうち過保護がより悪いとする論拠は、過保護に育てられた犬は飼育者以外の第三者にも比較的容易に分かるし、犬そのものが他者に迷惑をかける可能性が出てくる。これに対して体罰は、体罰を加えていることを知っているのは基本的に飼育者と犬だけで、犬そのものはじっと耐えて他者に迷惑をかけることはほとんどない。

 ただ、飼育者の留守中、つまり知らぬうちに犬舎内にいる犬が躾のなっていない子どもや犬嫌いな者に投石されたり、棒などでつつかれたりするなどの虐待行為が繰り返されていた場合、犬はその行為を繰り返した者を絶対に忘れず、憎悪を蓄積させる。留守中に誰かが犬に危害を加えることのできる環境になっていないかどうかについて、飼育者は今一度点検すべきであろう。

 秋田犬は他犬種以上に性格が穏やかな犬種、と発祥地の当地では自負している。だが、前述のように際限なく過保護に育てると、気性が一変することもある。その一例を挙げてみよう、当地を旅立った秋田犬の子が成長し、里帰りをした時のこと。前オーナーは歯のチェックをするために、たくましく成長した犬の口を開けようとした。犬は唸り声をあげ、前オーナーの手に突然噛みついた。現オーナーは、犬の意識を改革しようとその後過保護を改める努力をしたが、当時は典型的な過保護(溺愛)だったため、普通ならあり得ない、前オーナーへの敵対意識をみせたのである。

 ここですごいのが、前オーナーの一瞬の反応だ。本来なら、口の中から咄嗟に手を引き抜こうとする。前オーナーはまったく逆だった。犬の口の中で瞬時に拳を作り、喉に押し込んでやる。犬はたまらず口を開け、噛むのをやめる。無論、噛まれた人間はパニック状態に陥るため、拳を作って喉に押し込んでやるなどという"技"は、よほど腹の座った人でないとできない。

 いずれにせよ、もともと性格が穏やかな秋田犬を過保護によって"ダメ犬"にせぬよう、喜びと希望を胸にこれから子犬を迎える方々には、迎える前からきちんとした認識を持っていただくよう期待したい。

HOME