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忠犬といえば、映画にもなった忠犬ハチ公が最も有名だが、「忠犬」と呼ばれたハチ公について長い間、引っかかるものがあった。ハチ公は、上野英三郎博士亡き後、帰らぬ博士を待ちながら渋谷駅の改札口前に、真夏も真冬も座り続けたことで知られる。そのいじらしく、けなげな姿が「忠犬」と評された。それを「忠犬」というのだろうか、とハチ公の古里、大館に住みつつ疑問に思い続けた。忠犬というのは、身を挺して主人の命を救ったりする犬こそが、そう呼ばれて然るべきではないかと。 その疑問は今も心のどこかでちりちりと消えずにいるのだが、そんな折、大館市に本社を置く地方紙が2004年8月、興味深い記事を掲載した。同市内で飼われている2歳半の秋田犬(オス)が、迫り来る車に体当たりして飼い主の命を救ったというのである。要点をかいつまんでみると、こうなる。2003年10月29日夕方のこと。同市花岡町に住むYさん(当時73歳)は、1歳8カ月だった琥珀(こはく)号と、小型犬の2頭をつれて散歩をしようと自宅前の横断歩道を渡りかけたところ、左側から乗用車が突っ込んできた。 小型犬は一目散に逃げたが、秋田犬の琥珀は吠えながら車に体当たりしたという。車にはね飛ばされたYさんは意識を失い、頭部外傷や首の捻挫、腰の打撲などで病院に運ばれた。同時に琥珀もはね飛ばされたが、奇跡的に無傷だった。琥珀がとっさに車と主人との間でクッションの役割を果たしてくれたおかげで、Yさんは軽傷で済んだ。命を救ってくれた琥珀に、Yさんは主人を思うハチ公の姿を重ね合わせたという。 その小型犬のように、主人もそっちのけで逃げ出してしまうのが犬の本来の姿なのか。あるいは、琥珀のように危険をかえりみず、主人を護ろうとするのが本来の姿なのか。もちろんこれは、犬個々によって異なるであろう。雑種だから劣っていることは当然なかろうし、雑種が主人の命を救ったというニュースは時おり耳にする。 関心を誘うのは、とっさの行動に出たとき、琥珀は何を思ってそうしたのかという点。文字どおり、とっさのことなので何も考えずに自然と体が動いたのかも知れない。70を過ぎていたYさんは、琥珀との散歩が体力的にきつくなり手放すことも考えていたが、10歳(当時)になる孫の反対で飼い続け、結果的に命を救われた。無論推測の域を出ないが、手元に置きたくないがゆえに琥珀を粗末に扱っていたとしたら、琥珀は身を挺して車に体当たりなどしなかったのではないか。Yさんが限りない愛情を注ぎ続けたからこそ、琥珀は主人であるYさんを護らなくては、と瞬時に判断したのではないか。つまり、Yさんの愛情ゆえに琥珀は「忠犬」になり得たのではないか。 上野博士を出迎えるために渋谷駅の改札口前で待ち続けたハチ公は、何度も野犬狩りに捕獲されたという。野犬狩りの担当者は保健所などの行政職員で、彼らはハチ公を捕獲する際に、「あの馬鹿犬、またいるよ」と悪態をついたかも知れない。そうなると、ハチ公は「忠犬」どころか「飼い主がもういないことも自覚できぬ愚かな犬」との見方も可能だ。とどのつまり、どう解釈するかによって、その犬に対する評価はまったく違ってくるのではなかろうか。純粋な眼で見れば、ハチ公の行動はやはり「美談」となり、飼い主に忠実だった「忠犬」と評価できる。また、琥珀も主人の命を救った「忠犬」といえる。いずれも「忠犬」だが、その根底にはそれぞれの飼い主の限りない愛情があった、との解釈が最もふさわしいのではないかと思える。 大館市のあるベテランオーナーが、こんな話をしてくれた。4、5頭の秋田犬を引き連れて山に入ったところ、10数頭もの野犬が現れ、オーナーや秋田犬たちに襲いかかろうとした。その時、秋田犬たちは主人を護るべく野犬の群れと闘い、ことごとく駆逐したという。長時間にわたる"激闘"だったが、オーナーは傷一つ負わなかった。これも、秋田犬が飼い主の命を救った一例である。秋田犬は、マタギ(熊獲りの猟師)の供(とも)をしていた時代があり、主人を護るべく熊と闘うこともあったろう。秋田犬にはまぎれもなく野性の血が残っており、琥珀が熊に立ち向かうようにして車に体当たりしたとしても不思議ではない。 また、こんな話もあった。ベテランオーナーがやはり4、5頭を雪原で運動させていたとき、滑って転倒した。少しの間、起き上がれずにいたところ、秋田犬たちは心配そうな顔でオーナーの周りを規則正しく回り続けたという。そうした行動から察するに、秋田犬の中には主人を慕う心が存在する。家族の一員だった大切な秋田犬が亡くなった後、当クラブに秋田犬の譲渡を依頼する皆さんのほとんどがこう語る。「秋田犬以外、迎える気がしません」と。それは、秋田犬が自分たち家族にかけがえのないものを与えてくれたことを、飼育者の皆さんが強く記憶しているからではないか。つまりは、それぞれの秋田犬はそれぞれの家族にとって、皆「忠犬」なのである。ハチ公が「忠犬」だったのと、何ら変わることなく。 |