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「もぐ」って?

 今回は、秋田県内で使われているある表現を紹介してみたい。東北6県の中で訛りが最も個性的なのは青森、福島の両県と思えるが、基本的に東北人と東北人は県が違ってもお互い意思疎通に不便さはない。東北でほぼ共通する方言もあるため、これから紹介する表現も秋田県内に限らず、東北全体で認知されているかも知れない。

 皆さんは「もぐ」という言い回しを聞いたことがあるだろうか。秋田県内でも子どもを含む若い世代はほとんど使わない、あるいは知らない人も少なくないだろうが、秋田犬のベテラン飼育者を含む一定の年齢以上の人は、ある種の犬をさして「もぐ」と呼ぶ。

 「もぐ」とは、尨犬(むくいぬ)のことである。では、尨犬とは何か。広辞苑によると、「むく毛の犬」「毛の多い犬」とされている。「尨犬のあさましく老いさらぼひて、毛はげたるを−」と古典の徒然草にも"登場"することからすれば、「尨犬」は古くから使われている表現であることがうなずける。

 しかし、「むく毛の犬」「毛の多い犬」では漠然としていて、明快な説明とは言いがたい。「尨犬」は毛の長い、多い犬種を意味するのだろうか。それとも、犬種に限らずいわゆる「長毛犬」をさすのだろうか。前者であるとすれば、ほぼ全身にわたってもっこりとした毛で覆われているチャウチャウや、これまた全身がすさまじく長い毛でいかにもケアが大変そうなアフガン・ハウンドなどは、「尨犬」で一括りしなければならないことになる。

 吉田兼好が徒然草を書いた中世の日本に、いろいろな犬種が存在したとは考えにくく、本来通常の毛の長さ、多さで生まれるべき犬が何らかの原因で「長毛犬」として生を受けたという考え方が妥当ではないだろうか。 秋田犬に限っていえば、前述の方言「もぐ」もベテラン飼育者、繁殖者たちはそうした意味合いで使う。

 秋田県内のベテラン飼育者同士の会話例を挙げてみよう。ただ、秋田県北部と秋田市やその周辺地域からなる県中央部とはイントネーションを含めて秋田弁のトーンが微妙に異なるため、ここで紹介するのはあくまで県北部での言い方である。

 友人の犬舎を訪れた犬仲間が産まれたばかりの子犬たちを見て、「いづっつがぁ、今回はいい犬っこも、まいでるよんたでねぇがぁ」(5頭か、今回は良い子も産まれているようじゃないか)と言う。これに対して繁殖者が「したばって、いぢばんいぃよんた子っこ、『もぐ』だよんたでば」(けれども、一番良いと思える子が、尨犬のようなんだよ)と返す。

 このやり取りは古風な部類の秋田弁で、かなり泥臭いが、一定の年齢以上の秋田県北部住民は理解できると思う。子どもたちも、ともに暮らす祖父や祖母が健在、または訛りの強い秋田弁を使う両親と暮らしていれば理解できるだろう。若い世代を中心に、秋田弁も徐々に"都会の言葉"に引き寄せられつつはあるが。

 前述の会話の中では、繁殖者のがっかりした心情をみて取れる。つまり、「なぜ尨犬なんか産まれたんだ」という落胆である。「命」という観点からすれば、標準の毛の量、長さであろうが尨犬であろうが何ら差別されるところはないが、展覧会に視点を置いて秋田犬を作出してきた人々にとって尨犬の誕生は落胆以外の何ものでもなかろう。事実、数頭の子が産まれれば、そこには1頭または複数の尨犬が含まれる場合があり、尨犬に限って抜群の顔や眼、構成などに恵まれていたりする。少なからずのベテランがそうした面で忸怩(じくじ)たる思いを味わってきた、と推察できる。

 さて、「もぐ」はどう発音すればいいのだろうか。「も」は全国共通なので支障なく発音できるが、問題は「ぐ」だ。東北以外の皆さんには、ある解釈が必要だ。濁音の「が」「ぎ」「ぐ」「げ」「ご」には2通りの音があるのは、ご承知のとおり。例えば、「もぐもぐ食べている」の「ぐ」は、鼻から抜けるような音の「ぐ」。 そして、「ぐらぐらしている」の「ぐ」は、鼻から抜けないストレートな音の「ぐ」。 双方の「ぐ」の音は異なり、尨犬の「もぐ」の「ぐ」は「ぐらぐらしている」の「ぐ」と同音である。アクセントは「ぐ」と、強さが「も」の方にくる。

 秋田犬に関していえば、尨犬には文字どおり全身の「全もぐ」と、顔とその周辺だけの「半もぐ」があり、「半もぐ」は生まれて数十日程度、ベテランでも尨犬と判断しにくいことが稀にある。飼い主とともに闊歩する成長した赤オスの尨犬を見たことがあるが、獅子のごとき鬣(たてがみ)を風になびかせ、「ライオンか?!」と思いたくなるほどだった。あれはあれで、面白い趣きなのかも知れない。

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