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大統領と「ゆめ」

 ロシア大統領府は、秋田県がプーチン大統領に贈った大館市生まれの秋田犬「ゆめ」が大統領と戯れる写真を、初めて公開した。テレビなどで2013年4月11日、新聞で翌12日に報道され、微笑ましい光景が日本全国を駆け巡った。

 マスコミが使用している写真ではなく、同大統領府のホームページで直接閲覧したいと思い、英語版を開いてみたが、残念ながら20枚公開したという掲載ページにたどり着くことができず、秋田県内の3種類の新聞で「ゆめ」の元気な姿を見せてもらった。

 「ゆめ」には、1度だけ触れた。日本を離れる前日の2012年7月25日。大館市比内町中野の畠山正二さん宅を訪ねてのことだった。米国のオバマ大統領とともに世界で最も注目される国家元首のもとへ旅立ち、雪の中で触れあっている姿を写真ながら目の当たりにすると、愛情を込めて育てた畠山さんですら2度と再会できない遠い存在になったように感ずる。

 公開写真を見ながら、大正13年(1924年)1月に大館市大子内の斎藤義一氏宅から旅立った忠犬ハチ公の時代と、イメージを重ね合わせてみた。ハチ公は、当時東京帝国大農学部教授だった上野英三郎博士に贈られた。それから88年の年月を経た2012年7月、ハチ公の生家からクルマで15分ほどの犬舎で産声をあげた「ゆめ」がプーチン大統領に贈られた。

 同大統領に対して秋田県が寄贈したことになっており、その返礼として佐竹敬久知事は大統領からシベリア猫の「ミール」を贈呈されたが、誕生犬舎が名乗りをあげてくれない限り、秋田犬がプーチン大統領と暮らすなどという、ある種"夢"のような話は実現しない。そうした意味からすれば、大切に育てた子犬を送り出した畠山さんこそが真の贈呈者と言えるだろう。

 「ゆめ」が畠山犬舎を離れる前日、居合わせたベテラン飼育者がぽつりと洩らした。「ただであげるんじゃなく、きちんと代価を得て渡すべきだったのに」。言葉を返すことなく、やがて自分が入るバリケンの周囲を走り回る「ゆめ」を、畠山さんがじっと見つめていたのを憶えている。

 実はこの点、大事なことなのではないか、と「ゆめ」が旅立ってから後も思い続けてきた。代価を得ることなく、ハチ公は上野博士に贈られた。つまり、販売されたのではなくプレゼントされたということ。そして、畠山さんも県に販売したのではなく、疑問を呈する周囲の声を押し切って寄贈した。もし販売していたなら、誕生犬舎は単なる「販売者」にすぎず、「○○犬舎で生まれた」という意義は希薄なものになっていたろう。

 純粋に贈ったからこそ、今でも「斎藤義一氏宅」で生まれたと報じられるし、「ハチ公生誕の地」の石碑も建立されている。同様に感じたのは、「大切にしてほしい」という願いとともにプーチン大統領のもとへ「ゆめ」を送り出した畠山さんもまた、美談として歴史に残るであろうということだ。これはやはり、販売ではなかったからこそ、と思える。

 今回公開された写真を見ると、「ゆめ」が大統領に心底馴染んでいるのが分かる。真の愛情を注がないと、秋田犬はあのような接し方はしてくれない。世界中が注目する中での激務、そして日々強烈なストレスにさらされているであろうプーチン大統領に束の間のやすらぎを与えてくれるのは、「ゆめ」をはじめとする愛犬たちと戯れるひと時なのかも知れない。写真からは、それが伝わってくる。

 2期8年間にわたってロシア大統領を務めたプーチン氏は、メドベージェフ氏に大統領の座を譲りつつ首相となり、2012年に再び大統領に就任し、現在に至っている。こうした老獪とも言える手法に対しては、ロシア国民からも反発を招き、このコラムの筆者もあまり良い印象を持っていなかった。プーチン氏のもとへ旅立ったところで、本当にみずから手をかけて育てるのだろうか。使用人が世話をし、たまに「ゆめ」の顔を見る程度ではないだろうか、と想像していた。

 実際にどうなのかは分からないが、写真を見た限りでは「本当に楽しくてしょうがない」という表情や仕草が「ゆめ」からうかがえる。そして、大統領からもまた同様の心情が伝わってくる。当然のことながら、「大統領たるプーチン氏」と「愛犬家たるプーチン氏」は別の顔なのであろう。

 プーチン大統領と戯れる「ゆめ」の姿が公開されると、これまで秋田犬の存在すら知らなかった世界中の人たちが、秋田犬に興味や関心を持ってくれるかも知れない。情報手段がきわめて限られていた大正時代も、ハチ公の存在は全国に伝えられた。畠山さんもそう願っているように、折に触れて「ゆめ」が成長していく姿を公開し、秋田犬を世界にアピールしてほしいものである。      
(2013年4月12日)

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※著作権の絡みがあるため、このコラムではロシア大統領府が公開した写真を掲載いたしません。ご了承ください。

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