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地元の重鎮逝く

 2013年9月20日。秋田犬の世界になくてはならぬ人がまたひとり、この世を去った。病魔と闘い続けながら秋田犬発祥地の秋田県大館市で、こよなく秋田犬を愛し、地元秋田犬界のけん引役を務めてきた。Y.K氏ほど、周囲から厚い信頼を得た秋田犬飼いも珍しい。

 心臓ペースメーカーを埋め込む手術を受けた2011年8月、K氏は大館市立総合病院のベッドでぽつりと言った。「こんな所で、寝てなんかいられないんだよ。犬たちを放ってはおけない」。ペースメーカーは10年はもつ、と医師に言われたK氏は退院後、「10年か、そこまで生きてりゃ、87歳だな」と楽しそうに犬舎前の椅子に坐り、愛犬たちの一挙手一投足を見守った。

 展覧会に情熱を注ぐベテランなら誰もが夢見る最高峰、名誉章を1度の本部展で2頭獲得するという"離れ業"をやってのけたほどの秋田犬界の重鎮である。「秋田犬と暮らしたい人たちに、ここ大館から本当に良い犬を送り出さなくちゃ。それによって、大館から来た秋田犬はやっぱり違う、と言ってもらえる」。口癖のように、そう話していた。義理人情に厚く、信頼を裏切らない。そんなK氏の手を経て、当クラブが送り出した秋田犬は少なくない。

 心臓病に加え、K氏は大きな爆弾をかかえながら生きてきた。重度の糖尿病。心臓病はペースメーカーの埋め込みで何とか乗り切ったものの、糖尿病はついに克服できなかった。犬仲間の犬舎を訪れて自宅にたどり着くや倒れ、救急搬送されたこともある。夫の健康を慮って、クルマの運転は常に夫人がしていた。

 9月に入り、K氏の体調はかんばしくなかった。家族の説得で、月に数度通院している総合病院に行ったのが17日。医師に「即刻入院。絶対安静」を命じられた。医師が家族に告げた地獄の宣告。「血糖値が400に達しています。菌が全身に回るのを食い止めるために、脚を切断しなくてはなりません」。

 K氏は苛立っていた。「こんなに所で、寝ているわけにはいかない。犬たちが待っている」。腕に突き刺さった点滴の針を、力任せに抜いた。「帰してくれないか」。それは、心の底から秋田犬を愛する者の悲痛な叫びとも言えた。

 K氏が脚を切断することは、なかった。入院からわずか3日後の9月20日午後零時35分、長年友情を交わし続けた秋田犬仲間の誰一人知ることもなく、静かに息を引き取った。

 「逝っちまったよ」。その夜、最も信頼の厚い犬仲間のF氏がK氏宅に電話を入れると、夫人は受話器の向こうで、口ごもるかのごとく告げた。すぐに意味を察し得なかったF氏は「どごサ行ったってや!」と、声を荒らげた。「死んでしまった。きょう」。

 F氏は、耳を疑った。1週間前に会った時は、明らかに顔色が悪く、黄疸かと思えるほどだった。が、すでにこの世の人でないなどとは、信じようもなかった。

 亡くなった翌日には火葬場で骨となり、22日には葬儀と、旧知の犬仲間たちは故人を偲ぶ余裕もなくせわしない日程の中でさえ、柔和なK氏の人柄を回想した。かつ、秋田犬発祥地にとっていかに大切な人を失ったかを、あらためて痛感した。

 かつての忠犬ハチ公のように、K氏が慈しみ育てた秋田犬たちもまた、主人の死を知らされることはない。あれほど主人に愛されたにもかかわらず……。合掌。

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本部展への情熱を最後まで絶やさなかったK氏は晩年、
この若犬にとりわけ大きな期待を寄せていた(自宅前で2013年6月撮影)
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